この記事は、この記事は、2018年1月21日2:00に更新しました。
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小室哲哉氏 引退報道
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小室哲哉氏 引退 ウィキペディアで 小室氏を 考察してみた 影響を受けたアーティストを iTunes で ご紹介 今なら3ヶ月無料。
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小室哲哉さんて、どんな人?
- 小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 – )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー。
- 東京都府中市出身、東京多摩振興特命武蔵国府中大使。
- 元尚美学園大学芸術情報学部教授。
- 妻はglobeのボーカルのkco。
- 愛称は「てっちゃん」「先生」「TK」など。
- 身長167cm、体重57kg。血液型はO型。
学生時代
3歳から東京芸術大学教授の下でヴァイオリンのレッスンを始めて、音感のベースを学ぶ。小学生の頃から既にクラシックのインストゥルメンタルの楽曲を作っていた。
小学5年生、母がエレクトーンを購入。
これが鍵盤楽器との出会いとなる。
母より先にコードを覚え、エレクトーンの先生を驚かせた。
同じ頃、母方の親戚の叔父からギターコードを習い、マスターするのが速くて叔父を驚かせた。
練習の時にフェリックス・メンデルスゾーンのメロディの歯切れの良さ・BPMの異常な速さに影響を受けた。
音楽の時間に50分で16小節を譜面に書く作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」「だけど自信にはなりました」と語っている。
日本万国博覧会でシンセサイザー・マニピュレーター・マルチモニター・12チャンネルステレオを背景に演奏する冨田勲を間近で見て、「もしモーツァルトの時代と同じ楽器しかなかったら僕はこの世界で勝負しなかった」と後述する程の衝撃を覚える。
家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。
渡辺美里の「きみに会えて」「BELIEVE」「嵐ヶ丘」「I wish」・TM NETWORKの「Here, There & Everywhere (冬の神話)」等後に提供する楽曲の雛型約20曲をその頃に作曲したという。
早稲田実業学校高等部商業科に入学。
小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという。
この頃からELP・ピンク・フロイド・レッド・ツェッペリン・キング・クリムゾン・T.Rex・ユーライア・ヒープ・コモドアーズ・Kool & the Gang・Earth, Wind & Fire・ドナ・サマー・ディープ・パープル・Yes等の洋楽をプログレッシブ・ロック・ファンクを中心に漁るように聞いた。
その中でも影響を受けたミュージシャンとして、キース・エマーソン・リック・ウェイクマン・ジョン・ロード・キース・ジャレット・ジョー・サンプル・デイヴ・グルーシン等のジャズ畑のピアニストを挙げ、特にキース・エマーソン・キース・ジャレットに関しては、即興演奏中心でプレイする姿勢に感銘を受けている。
早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、在学中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する。
初めてのギャラは18歳でダンスパーティーの演奏代で5千円だった。
大学の講義にはほとんど出なかったが統計学だけは面白く感じ、統計学の講義にだけは必ず出席し「どういう人達はどこに響くかを、リサーチ・計算して考える」ことにやりがいを覚えた。
その後も音楽活動に没頭し、授業料を楽器代に使い廻していた為に単位が取れず、小室も「授業料を払う位ならシンセサイザーを買った方がいい」と考えたために除籍となる。
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ウィキペディアを読んで、私は、次のように、思いました。(池上彰さん風)
- ウィキペディアの引用と、私の考察を順番に、そこはかとなく、書き連ねてみました。
- 小室哲哉氏が、影響を受けた各アーティストを、ウィキペディアと iTunes で ご紹介していきます。
- 小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 – )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー。
- 意外と年を取っている。もっと若いと思った。もう、還暦とは。小室哲哉さんが、赤いちゃんちゃんこ、を着る姿は、想像できない。全く。
- 東京都府中市出身、東京多摩振興特命武蔵国府中大使。
- 府中といえば、刑務所と、高田純次さんと、3億円事件。こんな大使をしているなんて、全然、知らなかった。宣伝効果は、あったのかな?知らないのは、私だけ?
- 元尚美学園大学芸術情報学部教授。
- これも、知らなかった。みなさん、知ってた?芸術と、情報って、正反対の分野だと思うんだけど、どんなことを、教えているのかな?気になる。
- 妻はglobeのボーカルのkco。
- globe「globe」をApple Musicで
- globe「globe」をApple Musicで
- globe(グローブ)は、1995年8月にデビューした日本の音楽ユニット。
デビュー時からCDはエイベックスから発売。
プライベート・レーベルavex globeからリリースされている。
デビューアルバム「globe」は400万枚を売り上げた。
ダブルミリオンを記録した「DEPARTURES」
を始め「Can’t Stop Fallin’ in Love」「FACE」など多数のメガヒットシングルがある。
安室奈美恵や華原朋美、TRFらとともに小室ファミリーの一時代を築きあげた。
安室 奈美恵(あむろ なみえ、1977(昭和52)年9月20日- )は、日本の女性歌手、ダンサー。
本名同じ。身長158cm、血液型O型。
愛称は安室ちゃん。
所属レコード会社はavex、レーベルはDimension Point。
所属事務所はstella 88。
2017年9月16日、デビュー25周年を迎えたが、直後の同年9月20日、「ファンの皆様へ」というタイトルで、翌2018年9月16日を以って芸能界を引退(詳細後述)することを、所属事務所の公式Webサイト上で発表した。
華原 朋美(かはら ともみ、1974年8月17日 – )は、日本の歌手、タレント、ミュージカル女優、馬術選手。
本名、下河原 朋美(しもがわら ともみ)。
東京都江東区生まれ、千葉県浦安市育ち。
身長156cm。体重42kg。
スリーサイズはB86・W58・H84。
愛称は「朋ちゃん」。血液型はO型。
代表曲はミリオンセラーを記録した「I’m proud」「I BELIEVE」「Hate tell a lie」など多数。女優・深田恭子、歌手・浜崎あゆみなど後のアーティストにも影響を与えた。
- TRF(ティーアールエフ)は、ダンスを中心とした日本の5人組音楽グループ。
- ボーカル + DJ + ダンサーからなるユニット構成。
現在では、ボーカルのKEIKOが療養に専念している為、小室とマークの2人のみで活動をしている。
- KEIKO(ケイコ、1972年8月18日 – )は、日本の歌手である。
- エイベックス・ヴァンガード所属。
- 大分県臼杵市出身。
- 夫は同じくglobeのメンバーである小室哲哉。
- 音楽グループ globeのヴォーカリストとして活動、『K-C-O』名義でソロ活動も行っていたが、病気療養のため2011年10月より活動停止中。
- 血液型はA型。
- これは、超有名。kcoさんは、3人目の妻、というにも、有名。ケイコさんは、いつの間に、芸名を改名したのだろう?この一連の妻たちの中に、華原朋美さんが、入っていないのは、かわいそうだった。華原朋美さんが、だよ、もちろん。
- 愛称は「てっちゃん」「先生」「TK」など。
- 愛称は「てっちゃん」といえば、やばいよやばいよ~の、出川哲朗さん。先生といえば、林修先生。TKといえば、たまごかけごはん、が、私の発想。日本国民なら、みんなそうだと思う。
- 身長167cm、体重57kg。血液型はO型。
- 意外と、身長低い。これで、よく、女性にもてた。みんな、お金目当て?
- 学生時代
3歳から東京芸術大学教授の下でヴァイオリンのレッスンを始めて、音感のベースを学ぶ。
- 葉加瀬太郎さん、かと、思った。絶対音感もありそう。
- 小学生の頃から既にクラシックのインストゥルメンタルの楽曲を作っていた。
- やはり、天才は、違う。神童だったんだね。
- 小学5年生、母がエレクトーンを購入。
- カシオの電子ピアノかな?
- これが鍵盤楽器との出会いとなる。
- ヤマハか、カワイかな?
- 母より先にコードを覚え、エレクトーンの先生を驚かせた。
- と、いうことは、母親も一緒に、習っていたんだね。音楽一家かな?
- 同じ頃、母方の親戚の叔父からギターコードを習い、マスターするのが速くて叔父を驚かせた。
- 親戚も、音楽家。血は争えない。
- 練習の時にフェリックス・メンデルスゾーンのメロディの歯切れの良さ・BPMの異常な速さに影響を受けた。
フェリックス・メンデルスゾーンって、誰?
ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 – 1847年11月4日)、通称フェリックス・メンデルスゾーンは、ドイツロマン派の作曲家、指揮者、ピアニスト、オルガニスト。
音楽の時間に50分で16小節を譜面に書く作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」「だけど自信にはなりました」と語っている。
- もう、他の生徒が、マネするくらいの、レベルとは。子供の頃なのに。譜面が読めない、アーティストが、多い。(桑田佳祐さんとか、ドリカムの吉田美和さん
とか。)なのに、子供の頃に、すでに、譜面を書いている。やっぱり、天才。 日本万国博覧会でシンセサイザー・マニピュレーター・マルチモニター・12チャンネルステレオを背景に演奏する冨田勲を間近で見て、「もしモーツァルトの時代と同じ楽器しかなかったら僕はこの世界で勝負しなかった」と後述する程の衝撃を覚える。
- 冨田勲さんは、天才。冨田勲さんに影響を受けたアーティストは、多い。小室さんも、そのひとりだったとは。
- 家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。
- やっぱり、出た。シンセサイザーの定番、デファクト・スタンダード、ローランド。
渡辺美里の「きみに会えて」
「BELIEVE」
- 渡辺美里の「美里うたGolden BEST」アルバム・2013年・15曲
「嵐ヶ丘」
「I wish」・TM NETWORKの「Here, There & Everywhere (冬の神話)」等後に提供する楽曲の雛型約20曲をその頃に作曲したという。
- 小室さんといえば、渡辺美里さん。マイ・レボリューション。私の青春時代の名曲。
早稲田実業学校高等部商業科に入学。
- 早実高校って、かなり、頭いい。でも、なんで、音楽ではなく、商業?謎の経歴。
小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。
これは、大学でいうところの、代返、みたいなもの?
音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという。
- いやいや、気づけよ、そこは。
- この頃からELP
- エマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson, Lake & Palmer) は、キース・エマーソン、グレッグ・レイク、カール・パーマーの3人により、1970年に結成されたイギリスのプログレッシブ・ロックバンド。
- 英語圏では「ELP」の略称で呼ばれることもある。
- ピンク・フロイド
ピンク・フロイド(Pink Floyd) は、イングランド出身のロック・バンド。
プログレッシブ・ロックの先駆者としても知られ、1970年代のプログレにおける五大バンドに位置付けられる。
作品の総売り上げは2億3000万枚以上、代表作『狂気』が全米チャートに741週連続ランクインするなど、ロック界のレジェンドとして世界的な名声を誇った。
1995年度『グラミー賞』受賞。1996年『ロックの殿堂』入り。
ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」51位。
- レッド・ツェッペリン
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)は、イギリスのロックバンド。
略称は、ZepもしくはLed Zep。
なお、「ツェッペリン」はドイツ語の発音であり、英語の発音は「レッド・ゼプリン」に近い。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第14位。
ディープ・パープル、ブラック・サバスと並んで、三大ハードロックバンドの一角とされる。
- キング・クリムゾン
キング・クリムゾン (King Crimson) は、イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド。
同国のミュージシャン ロバート・フリップが主宰を務めている事で知られ、活動は中断期間を挟みながら約50年に及ぶ。
1970年代のプログレッシブ・ロックにおける五大バンドに位置付けられ、後世のロック・ミュージックにも多大な影響を与えた。
- T.Rex
- T・レックス (T. Rex) は、イギリスのグラムロックバンド。
ユーライア・ヒープ
ユーライア・ヒープ (Uriah Heep) は、イングランド出身のロックバンド。
ブリティッシュ・ロックにおける主要バンドのひとつで、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルらと同様に、ハードロックのパイオニア的バンド。
1970年代に全盛期を迎え、1980年代半ばまではメンバーの入れ代わりが激しかったが、1986年以降は、ほぼ固定メンバーで活動。
デビュー以来、メンバーによるコーラス・スタイルを特徴とする。
- コモドアーズ
- コモドアーズはコモドアーズは(The Commodores)アメリカ合衆国のソウル・ミュージック・ファンクバンド。
- 1967年、タスキーギ大学の学生による2つのバンドのメンバーが合流して結成された。
- 1971年にジャクソン5のライブツアーのオープニングアクトを務めて注目され、その後モータウンとの契約を得て、1974年にレコード・デビューした。
- Kool & the Gang
- クール・アンド・ザ・ギャング(Kool & the Gang)は、アメリカのソウル・R&B・ファンクのバンド。
- Earth, Wind & Fire
アース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth, Wind & Fire)は、アフリカ系アメリカ人によるファンクミュージック・バンドである。
ファンク、ソウル、ジャズにポップミュージックを組み込み、R&Bの世界を開拓した。
ディスコが全盛だった1970年代から1980年代を象徴するバンドとして知られる
略称はEWF、EW&F。
1970年代の全盛期は、モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーのツインヴォーカルに重厚なホーンセクションが特徴であった。
1980年代前半には、他バンドに先駆けてコンピューターを利用した電子音を採り入れ、実験的な曲創りにも取り組んだ。
アメリカ合衆国国内だけでなく日本をはじめ世界的な人気も高く、1970年代から何度か活動停止と再開を繰り返しつつも定期的にヒット曲を放ち、世界でのCD・レコード総売上は9000万枚以上。
グラミー賞を6回受賞し、2000年にロックの殿堂入りを果たしている。
- ドナ・サマー
ドナ・サマー(Donna Summer、1948年12月31日 – 2012年5月17日)は、アメリカ合衆国の歌手、ソングライター。
マサチューセッツ州ボストン近郊のドーチェスター出身。
グラミー賞を5回受賞した。
「ディスコの女王(Queen of Disco)」の異名を持つ。
- ディープ・パープル
ディープ・パープル(Deep Purple)は、イングランド出身のロック・バンド
「レッド・ツェッペリン」「ブラック・サバス」と並び、三大ハードロック・バンドの一つに数えられ、後世のロックミュージックにも多大な影響を与えた。
1976年に一度解散したが1984年に再結成し、デビューから約50年を迎える。
2016年度『ロックの殿堂』入り。
- Yes
- イエス (Yes) は、イギリス出身のロックバンド。1969年にデビュー。
- 代表作に「こわれもの – Fragile (1971年)」、「危機 – Close to the Edge (1972年)」、「ロンリー・ハート – 90125(1983年)」などがある。
- 1985年度『グラミー賞』受賞。2017年『ロックの殿堂』入り。
- 等の洋楽をプログレッシブ・ロック・ファンクを中心に漁るように聞いた。
- このあたりのアーティストは、私も、青春時代に、聞きまくっていた。
- Earth, Wind & Fireのセプテンバー、ブギー・ワンダーランド、レッツ・グルーヴは、名曲。
- ディープ・パープルの、Smoke On The Waterは、日本人なら、誰でも聞いたことがあるはず。
- YesのOwner of a Lonely Heartは、一時期、私の頭の中で、ヘビロテされていた。
- その中でも影響を受けたミュージシャンとして、
- キース・エマーソン
- キース・エマーソン(Keith Emerson、1944年11月2日 – 2016年3月10日[1])は、イギリス出身のキーボーディスト、作曲家。
- シンセサイザー奏者の草分け的存在であり、ロックにクラシックやジャズの要素を取り入れ、シンセサイザーを楽曲の中心に導入した先駆者とされる。
リック・ウェイクマン
- リック・ウェイクマン(Richard Christopher Wakeman、1949年5月18日 – )はイギリス出身のキーボード奏者、作曲家、タレント。
- ロンドン生まれ。
- ロックグループイエス(YES)にかつて在籍していたことでも知られる。
- ジョン・ロード
- ジョン・ロード(Jon Lord 、1941年6月9日 – 2012年7月16日)はイギリス出身のハモンドオルガニスト、ピアニスト、作曲家。
- キース・ジャレット
キース・ジャレット(Keith Jarrett、1945年5月8日 – )は、アメリカ合衆国のジャズ・クラシックピアニスト、作曲家。
ジャズ・ピアニストとして広く認識されているが、クラシック等、ジャンルを超えた音楽表現を身上とする。
演奏楽器もピアノにとどまらず、ソプラノ・サックス、パーカッション、ハープシコード、リコーダーなど多岐にわたる。
メロディーの美しさもさることながら、中腰の姿勢で、時折うめき声を出しながらピアノを弾く姿が印象的。
2003年にはポーラー賞を受賞。
- ジョー・サンプル
- ジョー・サンプル(Joe Sample、1939年2月1日 – 2014年9月12日、本名:ジョゼフ・レスリー・サンプル、Joseph Leslie Sample)はアメリカ合衆国テキサス州・ヒューストン出身のジャズ・フュージョン界で活躍したピアニスト。
- リリカルで透明感のあるピアノで、時折ファンキーな音色を見せるのが特徴である。
- 息子のニクラス・サンプル(Nicklas Sample)もジャズ・ミュージシャンで、ベーシスト。
- デイヴ・グルーシン
デイヴ・グルーシン(Dave Grusin, 1934年6月26日 – )はアメリカコロラド州リトルトン出身のジャズ・フュージョン、アダルト・コンテンポラリー及び映画音楽を代表するピアニスト、編曲家、作曲家、プロデューサー。
フュージョン/アダルト・コンテンポラリー・レーベルGRPレコード創設者の一人で社長を務めていた。
1995年以降はソロ活動に身を置き、後にフィル・ラモーンのN2Kエンコーデッド・ミュージックの設立にも参画。
代表曲に、映画『コンドル』Three Days of the Condorのテーマ曲、映画『恋に落ちて』Falling in Loveのテーマ曲ともなった”Mountain Dance”(同名のアルバムからの採録)、映画『黄昏』On Golden Pond のテーマ曲等がある。
米国グラミー賞受賞10回、ノミネーション1回、アカデミー賞受賞1回、ノミネーション7回、ゴールデン・グローブ賞ノミネーション4回。
尚、プロデューサーでキーボーディストのドン・グルーシンは実弟にあたる。
- 等のジャズ畑のピアニストを挙げ、特にキース・エマーソン・キース・ジャレットに関しては、即興演奏中心でプレイする姿勢に感銘を受けている。
- このあたりのアーティストは、あまり、知らない。この機会に、聴いてみようっと。
早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、在学中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する。
- 早稲田大学に5年って、爆風スランプの中の人、サンプラザ中野くん、を、思い出した。
- 爆風スランプ(ばくふうスランプ、BAKUFU-SLUMP)は、日本のロックバンド。1984年デビュー。
サンプラザ中野くん(サンプラザ なかのくん、1960年8月15日 – )は、日本のミュージシャン、作家。
本名、中野 裕貴(なかの ひろたか)。
山梨県甲府市生まれ、千葉県育ち。
アミューズ所属。
千葉県立東葛飾高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部政治学科除籍。
「山口のばら」名義で作詞も行なっている。
身長181cm、体重74kg。
血液型はB型。左利き。
スキンヘッドとサングラスがトレードマーク。
2008年1月15日、日本テレビ系列『踊る!さんま御殿!!』にて、芸名を「サンプラザ中野」から、「サンプラザ中野くん」へ変えたことを発表した。
- 初めてのギャラは18歳でダンスパーティーの演奏代で5千円だった。
- 当時の5千円なら、いいギャラ。
- 大学の講義にはほとんど出なかったが統計学だけは面白く感じ、統計学の講義にだけは必ず出席し「どういう人達はどこに響くかを、リサーチ・計算して考える」ことにやりがいを覚えた。
- この頃から、マーケティングを勉強していたんだね。統計学にもとづいて。これが、あとで、小室ファミリーが大ヒットする、原因だと、思う。
その後も音楽活動に没頭し、授業料を楽器代に使い廻していた為に単位が取れず、小室も「授業料を払う位ならシンセサイザーを買った方がいい」と考えたために除籍となる。
- 授業料を楽器代に使い廻していたのは、結果的に、正解だった。あとの音楽人生を考えれば。除籍になっていたのは、知らなかった。除籍って、爆風スランプの中の人、サンプラザ中野くん、と、同じでは?学歴としては、大卒ではなく、高卒になるのかな?
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では、また。
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